磁士の発見、
白いやきものの誕生ー御用窯へ
三川内では主に陶器を焼いていましたが、1640年頃に白いやきもの=磁器へと変わり始めます。
そのきっかけとなったのは、巨関の子である今村三之丞(さんのじょう)が、寛永10年(1633)に針尾島に陶石(網代(あじろ)陶石)を発見したことです。
平戸藩は、寛永14年(1637)に三之丞を窯場の責任者兼役人である、皿山棟梁代官(さらやまとうりょうだいかん)に任命しました。
慶安3年(1659)には、平戸藩によって中野の陶工たちが三川内山に移され「御用窯(ごようがま)」の体制が完成します。
御用窯とは、藩の庇護のもと良質の原料と最高の技術を駆使した窯のことで、窯跡が残る、東窯と西窯がその役割を果たしました。
さらに寛文2年(1662)、今村弥次兵衛(いまむらやじべえ)(みかわち焼の陶祖・如猿(じょえん))により天草陶石を用い始め、磁器生産はいよいよ本格化します。
天草陶石と網代陶石が混ぜて使われました。現在のものと比べて、黄色がかった白濁の強い柔らかな肌となるのが特色です。


