百間窯跡

所在地 佐賀県武雄市山内町大字宮野

史跡 肥前磁器窯跡
「百間窯跡」
指定年月日 昭和55年3月24日
この窯は、朝鮮渡来の陶工たちによって、天正年間にはすでに開窯されていたと伝えられている。
慶長の役後来朝した李三平は、優良なる陶工を求めて板ノ川内に来り、泉山の磁石を発見して硬質な磁器製作に成功した。元和2年(1616)のことである。
これから寛永14年(1637)ころまでは、有田十三皿山の一つとして泉山の原料を用いて盛んに製陶され、その登窯は、長く連なって百間も続く窯(百間窯)といわれる程に隆盛を極めたが、陶工たちは有田の諸窯や筒江の窯などに次第に分散して、ついに廃山になってしまった。
百間窯の古窯品は、陶器から白磁、青磁にいたるまで多種多様であり、その造形、釉薬、文様など技術の上からも永い時の経過を感ぜしめるものが多く、まさに、肥前の磁器産業の総合的な遺跡であるといえる。
国は、この百間窯跡と有田町の天狗谷窯跡、山辺田窯跡、泉山磁石場跡、西有田町の原明窯および嬉野町の不動山窯跡を「肥前磁器窯跡」として史跡に指定した。
なお、板ノ川内地区内には、空山窯跡、壇場切窯跡、窯ノ辻窯跡などの古窯跡があって、往時の盛況をしのばせる。
昭和57年3月
文化庁
武雄市教育委員会