鄭芝龍の功績(鄭成功の父)
何をした人
鄭芝龍は、東アジア最大の海賊であり貿易商人でもありました。また、平戸の海外貿易において中国産生糸輸入に大きな貢献をした人物でもあります。
鄭芝龍は、福建近隣の港から生糸を中心とする中国産品や皮(鹿・鮫)製品、蘇木、織物類など東南アジアの製品を日本へ輸出して、日本銀を輸入し大きな利益を上げました。日本銀は中国・台湾産品の支払いに用いられた他、日本製の刀や甲冑などの武具と共に、中国商人によって東南アジア各地へ輸出されました。
鄭成功の家族
鄭芝龍は、当時、日本における最大の中国人海商李旦の後継者として平戸川内に居住し、平戸の女性 田川マツと結婚しました。芝龍夫婦は2人の子供(福松と七左衛門)に恵まれますが、母マツが千里ヶ浜で貝拾いの際、俄かに産気づき浜の大石にもたれて生んだと伝えられるのが福松で、後の鄭成功です。
父芝龍は藩主の寵を受け、平戸藩士花房権右衛門には二刀流の剣術を学び、福松も幼少ながら父と共に剣術を学んだと伝えられています。
この花房権右衛門邸宅跡には、福松が日本を離れる際に椎木を植栽したと伝えられ、同所には平戸藩主松浦熈(ひろむ)が鄭成功を懐かしみ建立した歌碑が建てられています。
媽祖像
媽祖(まそ)とは、航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神です。この媽祖像(平戸市指定有形文化財)は、形状から元々船中に安置されていたものと推察されます。成功の誕生を喜んだ父芝龍が裏山に祠をつくり、この媽祖像を祀ったと伝えられています。
媽祖(まそ)像
随神 千里眼・順風耳
昭和五十二年三月一日 平戸市文化財指定
平戸市川内町観音堂に安置
媽祖は960年宗太宗建隆元年福建省(馬祖島)林家の六女として生まれ、幼時は黙娘と呼ばれた。若くして悟りを開き村人たちは通賢霊女といって敬った。
媽祖開教の信仰は福建省に発生し、福建台湾などで盛んであり、中国民俗信仰の一つである。はじめ航海安全の守護神、今では万能神として尊信されている。
川内観音堂は鄭成功居宅跡地に建てられた喜相院の裏隣にあたり、現段階では断定できないがここに安置の媽祖像も鄭氏緑りのものと考えれ、あるいは幼い成功も父芝龍と一緒に拝んだかも知れない。
この媽祖像は寸法から、もともとは船中に安置されたものと推察され、樟材の一木彫りである。像高約28センチ。随神の千里眼、順風耳 共に樟材の一木彫りである。
寸法は何れも高さ19センチ。
鄭成功居宅跡下出土貿易陶磁
調査主体:平戸市教育委員会
調查年:1991年(平成3年)
調査地:平戸市川内町 1060番地
出土層位:第2層
調査所見:鄭芝龍(鄭成功の父)が平戸に拠点を置いていたころ、中国の景徳鎮窯(江西省)及び福建・広東で焼成された青花(染付)磁器片が、少量ながら出土している。
これらは、1641年(寛永18年)の鎖国完成まで、中国船・オランダ船・イギリス船が多数来航し、平戸の副港として賑わった川内の特性を示すものといえる。
「国姓爺合戦」の時代背景
1650年、鄭成功がアモイを(占領)取得した頃から鄭軍の軍事力が急速に成長しています。それは軍隊組織を確立し、水、陸軍で百以上の部隊を組織したことによります。鄭成功軍の最盛期には,水・陸軍兵隊20万人,戦船3千艘を越えたといわれています。台湾において、鄭成功軍と戦い敗れたオランダ人の記録には「鄭成功軍の兵士は三種の武器を所有する。一部隊は弓矢を背負い左手に楯、右手に重い剣を持つ。また、別の一部隊は両手に蛮刀を付けた長い棍棒を持ち、両腕と足以外は全身鉄甲で保護され、上身は魚鱗のような鉄片に覆われている。盾を持って身を援護しながら敵陣中へ勇猛果敢に突進し、たとえ仲間が横で倒れても、狂犬のように暴れまわって敵陣を崩すまで後を振り向かない、極めて凶暴な軍隊であった」と記されています。










