鄭成功と平户
7世紀平戸とオランダの貿易が最も盛んな頃、中国福建省生まれの明人・鄭芝龍はオランダ船に乗り込み川内浦に来航し、平戸藩主のもとに保護を受け川内浦の田川マツを嫁にし、1624年7月14日に鄭成功(幼名・福松)が生まれた。
鄭芝龍は一時海賊の大将となり中国の南部沿岸で活躍、明朝の招きで本国に帰り、要路の高官となった。
鄭成功は7歳の時に父のもとへ単身渡海、15歳で最高学府南京大学に、21歳で北京国立大学に学んだ。明王隆武帝に謁し、国姓の朱を賜った。やがて明朝が滅び清に変わる時、軍を率いて明の再興をはかるが戦いに敗れた。その後台湾に本拠を移しオランダ人を追い出し善政をしき住民に慕われるが、熱病にかかり39歳で没した。
この日中混血の英雄・鄭成功は台湾の国神として敬われ、台南市に明延平郡王祠として祀られている。
また、中国泉州市には、教育目的で鄭成功の乗馬像が建立されている。
正面の「鄭成功廟」は、1962年丸山公園に建設された「鄭成功廟」を鄭成功生誕400年記念事業として2024年4月この地に移転新築された。







