陶祖神社
天保十三年(1842)に藩主から今村弥次兵衛(号如猿)の功績を讃える覚書が皿山に与えられ、これにより開祖神社が建立された。平戸藩御用窯(御細工所)の棟梁を代々勤めた今村家の先祖を祀る神社である。
慶長三年(1698)に平戸藩主の松浦鎮信は朝鮮出兵から、朝鮮南工の巨関(きょかん)ほかを伴って帰陣する。
巨関は日本人妻との間に子をもうけ、その子が今村三之丞である。三之丞は平戸の中野窯を本拠にしていたらしいが唐津や有田さらに波佐見などを遍歴し、また領内の白然鉱の採索も行って器の研究を行い、寛永十五年(1638)に藩から三川内皿山代官兼棟梁に任命されている。
しかし、陶祖神社の祭神は今村家二代目の弥次兵衛であり、如猿大明神として祀っている。巨関や三之丞が祭神でないのは、恐らく二人は藩窯創業期の人であり、二代目の弥次兵衛が御用窯を確立したからだろう。
寛文八年(1668)の三川内御細工所新設のとき弥次兵衛は34歳であった。





