黒牟田焼(武雄)土師場物原山

佐賀県武雄市武内町にある黒牟田焼です。
佐賀県西松浦郡有田町黒牟田地区とは異なる。

国史跡 肥前陶器窯跡 土師場物原山・錆谷(さびたに)窯跡
武雄市には陶器や磁器を焼いた窯跡が約90箇所あります。その起源は、約400年前まで遡ります。豊臣秀吉により行われた文禄・慶長の役に従軍した武雄領主 後藤家信が深海宗伝を長とする朝鮮陶工たちを連れ帰り、竹古場山の麓を中心に登り窯を築いて活動したのが始まりといわれています。
これらの武雄の窯跡の内、代表的な陶器の窯跡が国史跡「肥前陶器窯跡(小峠窯跡・大谷窯跡・錆谷窯跡・土師場物原山)」として指定されています。

土師場物原山
物原窯跡等で焼き損じた陶器が捨てられており、陶片が約110mに渡って小山状に堆積しています。製品には、鉄釉(黒釉)や銅釉(緑色釉)を施したものが多く、品種は多種多様に渡ります。
「いろんた徳利」「くろんた土瓶」と呼ばれるものが生産されていました。
昭和5年には大阪毎日及び東京日々新聞社により発掘調査も行われました。
この物原の製品の年代は、陶片などから江戸時代中頃から後期にかけてのものが多く見られます。

錆谷窯跡
錆谷窯跡は、土師場物原山から東へ行った山中にあります。
焼成室が16以上あり、全長35m以上ある窯跡です。焼かれた製品は全て陶器で、皿・碗・すり鉢などがあります。これらの製品の中には鉄絵を描いたものや口の周りに鉄釉をかけた皮鯨なども見られます。